主要製品、取扱品サービスなど
戦後間もない昭和28年初頭、店主野原元助は当時町長 神田清一氏の供で建設省に行き、「鉄道建設の陳情する大臣は即座に鉄道はダメだ、これからの日本は自動車の時代となり全国へ自動車専用道路を建設計画である」と申され、それを端緒として昭和29年5月に鹿野で第一号のガソリンスタンドを開設する。当時鹿野には車が2~3台でまことに心細い限りであった。40年代になると徐々に車も増加して来た。
又、日本は高度成長期に入り、農業は機械化され、工場も進出し、佐藤大臣の申された中国自動車道と鹿野インターも開設はそれより30年後に実現した。平成に入り、株式会社野原石油に組織替えした。高度成長期となり、石油製品の社会の発展に対する役割は多大なり、当社町発展に貢献するが、多大であったと思考します。(又、LPガスは各家庭に必需となり当社の大半を供給し保安に労力致して居ります。)